私の人生において、友達の中で影響の大きい人物が何人かいました。
今では、長く深い付き合いが出来る数人が残っているだけ。
友達の数は決して多くはありませんが、それで充分だと感じています。
友人同士の関係性など、どういう風に書いていくか迷ったので、思いつくままに書き始めてみます。
後から整理するかもしれません。
Eちゃんのこと
Eちゃんは一番長い付き合いの友達。親友と言って良いと思います。
彼女が16歳、私が20歳の時に出会って以来なので、20年以上経っているのだなぁ。
まだ制服を着ていて、私の妹と同い年だったので、最初は可愛い妹のように思っていましたが、彼女は私よりずっと成熟していたので、すぐに同い年(あるいは年上)の友達のような感覚になりました。
見た目は派手で、社交的で、元気。
私の苦手なタイプでしたが、スルッと上手く心の扉を開けて入ってきてくれた人。
一見すると豪放磊落なようでいて、内面は極めて繊細。
話していくうちに、どんどん好きになるタイプの子です。
私は、現代の「女版前田慶次」だと思っています(???)
Eちゃんが教えてくれたこと
付き合いが長い分、色々なことがあるのですが、彼女が私に教えてくれた最も大きなことは
「親を嫌いになっても良いんだ」
「自分の親を毒親だと思っても良いんだ」
「自分が親にされたことが、全て正しいとは限らないと思っても良いんだ」
ということです。
とても大きな影響を、私に及ぼしました。
それまでの私は、ずっと「母は正しい、自分が悪いんだ」と妄信して、痛みを飲み込み、耐えて、歪んでいく自分に気付かないふりをして直視しないように努めていましたが、彼女の言動によって大きく価値観が変わることになりました。
今まで自分が母にされてきて嫌だったこと、苦しかったこと、ずっと我慢してきたことを「誰かに話しても良いんだ」ということ。
そして、それに共感してくれる人がいるのだということを、初めて知ったのです。
今になって考えると、これが、良いことだったのか、わからないなぁと思うこともあります。
もしかしたら、いつまでも気付かないふりをしていられたら、その方が幸せだったのかもしれない。
あるいは、もっと酷い壊れ方をしていたのかもしれない。
ただ、ある意味、自分で考えることを放棄している状態だったわけですから、救いになったことも確かです。
ifを考えたって仕方がありませんが、とにかく、彼女との出会いによって発想の転換と言うのでしょうか。
当時は、毒親なんて言葉はありませんでしたが、何もかもを母に従う必要は無いのだと、初めて気づくことが出来ました。
母親の話は、また別の記事に書きたいと考えていますが、上手くまとまる気がしません。
Eちゃんと母親
自分のことではないので、あまり詳しくは書きませんが、Eちゃんは異常なほど厳しい母親に育てられ、苦労してきた一人娘でした。
Eちゃんは、私の友人の中で初めて母親を、明確に「嫌い」だと公言し、今までにされたことの経験を、明るめに語りながらも罵りました。
それまで私は、家族とは「良いもの」でなければならぬ、と思っていて、人に家族のことを話す時も「良いこと」しか口にしてはいけないのだと妄信していました。
思えば、高校の時の友人が「母親の作ったものを食べない」「母親と口をきかない」などと話しているのを聞いたことがあったのですが、その時は、「今ごろ反抗期かなぁ、幼いなぁ」と感じていました。
その実、家では逆に、私が母から口をきいてもらえなかったりしていたのですが、そういう話を外で誰かにするものではない、と思い込んで1人で我慢していました。
Eちゃんは宣言通り、高校を卒業したら直ぐに実家を出ました。
私は働き始めても、まだ実家に住んでいたので、そういう行動力を尊敬していたし、先輩のように思っていました。
それから二十年が経ち、色々あって今はまたお母さんと同居していますが、大変そうです…。
Eちゃんによってもたらされた運命の出会い
Eちゃんは社交的で、大人になってからもとにかく交友関係の広い人でした。
Eちゃんの友達グループの飲み会に呼ばれても、人見知りの私は1、2回しか顔を出しませんでした。
その数少ない飲み会で出会ったのが、今の夫です。
まさに運命の出会い。事実上の仲人はEちゃんですw
夫は元々、Eちゃんの仕事の取引相手でした。
仕事の取引先の人とプライベートで飲みに行くなんてことも、私にはとても考えられませんが、彼らは既に何度も飲みに行っていて仲が良く、友達になっていました。
普段なら断るのですが、共通の友人の間でちょっとした問題があって、話し合おうという目的で顔を合わせたところ、私はひと目見てすぐ、夫を好きになってしまいました😊
この飲み会について書くには、Kちゃんという友人のことを説明しなければなりませんが、Kちゃんについては、そんなに書きたいことも無いので、割愛しようかな…。
でも、私が夫と出会えたのは、ある意味Kちゃんのお陰でもあるから、後で書くかもしれません。
「死ぬなよ」と言える友達
Eちゃんとは今でも仲が良く、コロナが終われば、真っ先に会いたい友人の1人です。
仲が良いというのはお互い歳もとったし、都合が良くて気が向いた時に会える、体調が悪かったり気が乗らない時は断れる、そういう程よい関係です。
先日、「万が一、私がコロナを持っていて、Eちゃんにうつしてしまって、Eちゃんのお母さんにまでコロナをうつしてしまったら罪深すぎるから、心配で飲みに行けない」と言ったら、「そういう考えすぎなところが好きだよ」と言ってくれたので、とても、とても嬉しかった…。
出会ってから20数年が経つので、その間に私が彼女に迷惑をかけたり、彼女を助けられなかったり、色々あったのですが、今は「頼むから死なないでよ」とお願いしています。
私自身が死にたがりの癖に、誰かに向かってそんなことを言うのは、傲慢なのかもしれませんが…。
私が「死なないでよ」と言うと、「どうかなぁ~」などと返してくる彼女ですが、たぶん死なずにいてくれると思うし、私が死ねば本気で悲しんでくれるだろうと思っています。
だから、大切な友人を私のせいで悲しませないように、死なないでいようと思えるのです。